『元素111の新知識』が愛読書だった僕が茅葺きの世界に生きると決めた理由。
茅葺きに出会ったのは、建築意匠を学んでいた大学時代。卒業を目前に控え、いざ卒論を書こうとするもドツボにハマって1年間の引きこもり生活に突入。そんな僕を見かねた所属研究室の塚本由晴(つかもとよしはる)先生の声かけで古民家再生プロジェクトに参画し、2年間の里山生活をする中で親方の相良育弥(さがらいくや)さんと出会い、たどり着いたのが茅葺きの世界でした。「ここで働かせてください!」と『魔女の宅急便』のキキばりの勢いで「株式会社くさかんむり」の門を叩き、2021年から茅葺きの世界に入りました。職人としては“駆け出し”というより、まだまだクラウチングスタートの姿勢をとっているくらいですが、学生時代にあれこれ迷走していた僕だからこそ、茅葺きへの熱い想いは人一倍語れます。
その1|感覚言語の世界。
茅葺きの現場では「いい感じに」「いい塩梅に」「ひとつかみ」「パラッと」など感覚言語が多用されます。当初は「誰を基準にした表現なんだろう?」と思っていましたが、家族よりも長い時間をともに過ごす中で、だんだんとその感覚を掴めてきました。中学生時代の愛読書が『元素111の新知識』だった超左脳人間の僕にとっては大革命です(笑)。
その2|徒弟制度がある。
茅葺き職人の世界は徒弟制度です。単純に人との密度が高いことは新鮮で楽しいです。茅葺きの技術を習得するための仕組みでもありますが、僕にとっては生き方そのものを学ぶ場でもあります。“兄弟子”、“妹弟子”などと呼び、血縁はないけれどほとんど家族のような感覚で過ごせるチームです。今、そういう働き方をしてる人は少ないんじゃないかな。今の環境をありがたいなあと感じています。
その3|失敗がない。
学生時代はあんなに学校に行きたくなかったのに、茅葺きの現場に行きたくないと思ったことは1回もありません。だから、辞めたくなる瞬間もない。失敗をしても失敗から学んだ分の情報が増えるだけ。だから挫折もありません。そういう意味では、職人としての向き不向きはもちろんのこと、“茅葺き”が性に合っているのだと思います。
その4|捨てるものがない。
茅葺きは解体しても捨てるものが一切ありません。“物質の交替”と僕は呼んでいるのですが、茅や茅を育む草原、草原や茅に住む微生物が生き物として命のやりとりを継続してきた結果、まるで植物のように立ち現れてくるものが茅葺きです。葺き替えの際に屋根から下ろした古茅や茅くずの中でも、再び屋根に上るもの、堆肥として土に成るもの、それぞれに適した場所へと役割を交替していきます。
その5|植物と菌と養分、茅葺きと人と茅場の類似性
ところで植物は自分の力ですべての養分を取り込んではいません。土壌の菌が植物の養分となる物質を吸収しやすい状態に変換したものを吸い上げています。その代わりに植物は、芽吹き枯れていく過程の中で菌にとって有益な働きをする、というのが植物の世界です。茅葺きを考察するなかで“植物と菌と養分”の関係性が“茅葺きと人と茅場”と重なります。茅葺きは人が自然の中で応答しながら、ともに進化していた頃の記憶を呼びおこす。人として原点に立ち還らせてくれる存在です。
その6|茅葺きは代謝している。
高層ビルや高性能住宅が300年も住み継がれることは想像し難いですが、築300年越えの茅葺きはいまだに残っています。それは、茅葺きという存在が代謝しているからこそですよね。暮らしの背景や思想、自然界への想いを継続し、用に推された結果として残ってきたのが茅葺きであり、「かっこいいからやろうぜ」という時代以前から続いてきたものです。すべてがファッション化している時代だからこそ、そこから学べることは大きいのかもしれません。
ここで述べたことは、茅葺きの魅力のほんの一部ですが、自分が“いい”と思った価値観が茅葺きによって達成されていることが、僕にとっては何よりうれしくて、そこには一切の矛盾もありません。思い通りにならないものと対峙することで学んできた先人たちが見出した茅葺きや、“茅葺き的な生き方”をみつめ直すことによって、人間はもっとゆたかに生きることができるはず。少なくとも僕は茅葺きを通じて、日々正直に生きる気持ちよさを感じています。