
農学博士 高橋 佳孝さん(たかはしよしたか)
【PROFILE】
1954年、小倉市生まれ。「阿蘇草原再生協議会」会長。「全国草原再生ネットワーク」会長。中国地方や阿蘇を中心に、日本の草原保全や管理に関わってきたスペシャリスト。生態系や農畜産業、文化景観など多様な視点で草原研究や調査を行う。
野焼きの技術は、
無形文化遺産に値する
草原研究の第一人者である高橋佳孝先生に聞く、草原にまつわるエトセトラ。後編は、高橋先生と阿蘇の草原のつながり、そして草原の魅力や価値について伺います。
ーまずは、高橋先生と草原のつながりをお聞かせください。
生まれ故郷の北九州の小倉には足立山系の草原やカルスト地形の平尾台といった草原がありました。幼い頃から原っぱが遊び場でしたから、草原への親しみは人一倍強かったですね。
高校生の時、島根県の三瓶山にある草原を訪れました。そこには阿蘇のように草に覆われた山が広がり、牛や馬が放牧される牧歌的な景色が広がっていました。その光景を目にした瞬間、不意に「畜産を学びたい」と思い、岩手大学の畜産学科に進学しました。大学では4年間ラグビー漬けの日々を過ごし、その後、大学院で本格的に畜産と草原の研究を始めました。終了後は農水省に入省し、赴任先の島根県で外来品種を用いた改良草地や畜産の研究に取り組みました。
ー当初は、日本の草原の植物ではなく外来牧草の研究をなさっていたんですね。
そうなんです。しかし、千葉大学名誉教授で「日本自然保護協会」の会長を務めていた沼田眞(ぬまたまこと)先生から、日本の在来植物主体の草原の価値の重要性を教えていただいたことがきっかけで、国内の草原の研究にのめり込みました。
さらに1995年に開催された「全国草原サミット・シンポジウム」で、阿蘇の草原再生の第一人者である大滝典雄(おおたきのりお)さんと出会い、年に数回は阿蘇を訪れるようになりました。その度に農家さんや草原の視察を繰り返す中で、「阿蘇草原再生協議会」を立ち上げる際に環境省から声をかけていただき、現在に至ります。
ー長年、草原の研究を続けてこられた高橋先生ですが、改めて草原の魅力をお聞かせください。
生態系の視点から見ると、日本の気候風土や土壌に適した動植物が生きていることが、生物多様性を守る鍵となります。また、春に野焼きをすれば約3週間後には、緑が芽吹く。人が手をかければすぐに成果が出るのも草原の優れた特性です。そして、その草原が家畜のエサや屋根材、肥料となり、循環型の暮らしを支える点も大きな魅力ですね。
さらに、阿蘇の地域コミュニティを育ててきたのも、野焼きという営みを毎年続けてきた結果です。熊本地震で甚大な被害を受けながらも、復興が早かったのは地域のコミュニティの力と、草原の地中深くに蓄えられた豊富な地下水の存在が大きかったといえます。
ー今後AIなどの技術の進化によって、草原と人との関係性や野焼きのあり方は変化すると思われますか?
草原に関する知識や技術をAIに学習させれば、野焼きのシミュレーションもAIが判断できるようになるかも知れません。しかし、その知識自体が急速に失われているのが現状です。知識を持っていた高齢の方々が減り、その方々が持つ野焼きの技術を引き継ぐ後継者がいなければ、草原の利用管理にまつわる詳細な知識も消えてしまいます。一言で「阿蘇の草原」といっても、その中身は千差万別ですからね。
例えば、北外輪はネザサが多く、ススキの純群落は意外と少ないのです。こうした地域特性を考慮しながら、ススキが生える場所を「茅場(かやば)」として管理し、そのほかを牛や馬の放牧地や採草地として確保するという、それ以外の利用も含めて入会地(いりあいち)として共有するという自然な棲み分けが行われていました。こうした調査には、知識を有する地元の方々の存在が不可欠です。技術がどれだけ進化しても、後継者の育成は欠かせません。

ー高橋先生にとって“野焼き”は、どのような存在なのでしょうか。
公に謳われてはいませんが、野焼きは人類が太古から継承してきた無形の文化財です。例えば、山火事になりそうな時に反対側から火を放ち、火同士をぶつけて鎮火させる“迎え火”という技術があり、その技術は古事記にも登場します。そのようなわれわれ日本人がかつて持っていた火を使うという技術や伝統は草原の減少とともに失われつつあります。野焼きは、人と自然が共生するために培われてきたかけがえのない技術なのです。
ー最後に高橋先生が描く、日本の未来像をお聞かせください。
“持続性”というキーワードをもとに、身の回りのあらゆる物事を見直すことが大切だと考えています。それをすでに一万年以上も実証してきたのが日本の草原です。日本の暮らしは世界的にも稀有な文化を有しています。例えば、連作障害のない水田耕作、水田耕作を支えるための緑肥としての資源を持続的に生み出す草原といった環境は我が国の持続可能な暮らしの原型であると考えます。
だからといって単純に昔の暮らしに戻ればよいという話ではありません。これからは、昔の知恵と今の知恵の掛け合わせ、そのバランスを“草原”から学んでいくことが求められます。現在、日本の草原は国土の1%に満たない面積まで減少していますが、一万年の歴史を誇る阿蘇の草原には計り知れない可能性が秘められています。だからこそ、まだまだ諦めるわけにはいきませんね(笑)。
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