【茅葺職人インタビュー】 植田 龍雄さん(阿蘇茅葺工房)

植田 龍雄 (うえだたつお)
【PROFILE】
1976年熊本県生まれ。26歳で茅葺き職人の道へ。農業を営む傍ら36歳で「阿蘇茅葺工房」の3代目を継承。野焼きから茅刈り、茅葺き、古茅を堆肥にする農業まで担う数少ない職人集団の代表。

「茅葺きには自然とつながる知恵が詰まってる」全国の仲間とともに茅場(草原)を守っていく。

 「茅葺きはもう無くなる」。 26歳で茅葺き職人になると決意した時、茅葺き職人である祖父や父は反対こそしないまでも、その決断にあまり前向きではありませんでした。私の“師匠”である祖父は、畑を耕し、しめ縄を編み、竹を伐る林業を担い、茅場を育み、屋根を葺いていた。1人でなんでもこなす“お百姓さん”です。今思えば茅葺きにかかわらず、幼い頃から祖父の仕事の1つ1つに細やかな知恵と技術が詰まっていることを見てきたので、茅葺きが無くなるというのなら余計に引き継がなければ、と漠然とした危機感を感じていたのだと思います。

茅葺きの世界に入り、改めて知ったことがあります。毎年野焼きを行う、人の手が入った草原でとれる茅の方が使いやすい茅になるということです。にもかかわらず草原も、草原の中にある茅場も年々減少しています。その現実を目の当たりにしたときに、それまで当たり前に感じていた“草原”や“茅葺き”に対する見方が一変しました。

阿蘇には広大な草原がありますが、茅場として使っている草原はごくわずか。実際に野焼きを維持できない地域も身近にあって、茅場としての草原を維持していくことの難しさを感じています。

しかし、野焼きができず草原がなくなれば、茅葺きも同時に廃れていってしまいます。

一時は、わたしたちが江戸時代から代々使ってきた「23人持ち茅場」も植林の話が持ち上がったこともありますが、当時は祖父が「この茅場だけは」となんとか守って来た歴史があります。飛び火が起きて「野焼きはもう続けなくてもいいのではないか」という声が上がったこともあります。それでも草原を守らなければ、茅葺きは維持できなくなる。培ってきた土壌もダメになる。多くの希少生物たちの命も消えてしまう。一度失ってしまえば、簡単には戻ってきません。

近年、私たちが代々使ってきた茅場は、自分たちの責任として管理させてもらうようになりました。私たちは自分たちの手で茅場を維持し、茅刈りから野焼き、古茅を堆肥として土に還すところまで、持続可能な活動が叶う環境に感謝すると同時に、その責任を担っていかなければなりません。自分たちの力だけでは草原の野焼きは成し得ないので、全国から応援に駆けつけてくれるボランティアさんや茅葺き仲間の存在がありがたいですね。これから茅葺きを残していくことはもちろんですが、草原の文化には人と自然がつながる技術が詰まっています。それを自分たちの活動や、野焼きを通じて次の世代にちゃんと伝承をしたいという思いがあります。

また、茅葺き屋根は一つとして同じものがありません。厚みと重みの構造の塩梅を考慮しながら、絶対に守らなければいけない技術や知恵がある一方で、攻める姿勢も大事な仕事。「次はもっといいものを」という思いには、お金よりも大事なものがあります。そういう姿勢で日々仕事に向き合っていれば、自ずとそういう仲間が集まってくることも体感しています。

一般的に茅葺き屋根の寿命は20年から30年が寿命と言われますが、その役割を終えても使えるものはもう一度屋根に上り、土に還っていくものは土壌を改善してくれる。そんな茅は、持続可能な未来を持つ素材です。将来的に野焼きを自分の力だけで管理し続けることは難しいと思いますが、私たちには全国に茅葺きの仲間がいます。仲間たちと日頃からしっかりとつながっておけば、協力を仰ぐことはできます。私たちが阿蘇に根ざして活動を続ける限り、必ずその先に道が拓けるし、草原を守っていくことはできる。そう強く信じています。

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